【ヨハネスブルグ冒険譚 13~14日目】

JICA海外協力隊記

念願のポンテタワー潜入

という訳で、度重なる南アの母への親不孝をかまし、ポンテタワーを目指しました。

情報ツウの方やYouTube等でご覧になった方は、ご存じだと思いますがこのポンテタワーは”悪名高き”建築物です。

ポンテタワーとその伝説

ヨハネスブルグのシンボルともいえるポンテタワーは、1975年に完成した高さ173メートル、53階建ての高層マンションです。完成当初は、アフリカ大陸で最も高い集合住宅として注目を集め、白人富裕層が暮らす高級マンションとして憧れの的でした。円筒形の独特なデザインで、中央が吹き抜けになっている構造は、当時の最先端の建築技術を誇示するものでした。

しかし、1990年代初頭にアパルトヘイト(人種隔離政策)が崩壊すると、状況は一変します。治安が急速に悪化し、富裕層が次々と郊外へと移り住んだ結果、ポンテタワーは取り残される形で荒廃していきました。電気や水道は止まり、建物はギャングや犯罪組織が支配する無法地帯と化していきます。中央の吹き抜けにはゴミが何階分も積み重なり、下には車が埋まるほどだったといわれています。

この頃のポンテタワーは「世界で最も危険なビル」「薬から凶器まですべてが手に入るが、すべてを失う」「生存可能時間15秒」とまで呼ばれ、警察ですら簡単には踏み込めないほどでした。強盗や麻薬取引、殺人事件が日常的に起こり、また高さゆえに自殺の名所としても知られるようになります。その姿は、当時の南アフリカ社会の混乱と闇を象徴していたといえるでしょう。

2000年代に入ると再開発が進められ、セキュリティも強化されました。現在では住民も少しずつ戻り、建物は新しい命を吹き返しています。内部を見学できるガイド付きツアーも開催されており、荒廃の時代を乗り越えた歴史を目にすることができます。それでも、周辺地域は今も治安が良いとはいえないため、訪れる際には注意が必要です。

かつての栄光、そして深い闇を抱えながらも再生し続けるポンテタワー。その姿は、ヨハネスブルグという街そのものの歴史を物語っているように思えます。

しかし、中身を知らずに煽るだけ煽るやつらとは一緒になりたくありません。なにより地域住民に失礼です。

行きのUberタクシーの運転手が
「なんでこんなとこに行くんだい…?行きたくないんだけど…。」
と言っていたのは無視しました。

そして、やっとこさ到着。っても私自身はココで柔道教えさせていただいてるんだけどね。(参照)

そして、ツアーには参加せずに自力で例の穴底へ

かつては、ゴミをポイポイと上層階から穴底へと捨てていたそうです。そして、ゴミや粛清された○体やらで数階まで積みあがっていたとか…。

現在は過去の反省からか内側ではなく、外側に捨てるようになりました。賢くないねぇ…。

チェックイン

ポンテタワー観光を早々に切り上げ向かった先はポンテタワーの52階

そう。このポンテタワー泊まれるんです!!

予約サイトは我らがエアビー、泊約8,000円2泊するので約16,000円です。

最近会社が変わったようで、ポンテタワー敷地内へのセキュリティも万全ですが、タワー内部はさらにセキュリティチェックがあるので安心です。ホストも隣に住んでいるのでそちらも安心です。

ですが、周辺環境は修羅ですので、気軽にスーパー等は行けません。

気になるホテル内部の様子はというと・・・(下記リンク参照)

ええやん!ええやん!

南アあるある?の2ベッドルームの2バスルーム仕様です。

デメリットは周辺環境は言わずもがなですが、エレベーターが怖いくらいですかね。

サンライズ&セット及び眺めも最高です。

時折、銃声?のBGM付きですが52階までは届かない安心感が最高です。
(台風の日に家でゲームしている優越感的な…?)

キッチンも食器も完備されているので、自炊も可能です。

ヨハネスブルグの思い出作りにぜひ!

最後の晩餐とキャンドルナイト

と、到着&感動も早々に夕食を持っていない私たちは、これまたUber運転手をビビらせながら、レストランに向かうことに。

向かった先はNH Johannesburg Sandtonというホテルに併設されているレストラン。格差えぐい。

そこで肉やらビールやらで、ポンテタワーのあるヒルブロウに戻る、”最後になる確率がバカ高い”晩餐を嗜みました。
最後にパッチャス行きたかったなぁ…。はま寿司でも良いや…。

そして、夕食後は嫁ゴリが先日、誕生日だったということもありサプライズで、これまたホテル併設会場で催されるキャンドルナイト(HPリンク)へ参戦しました。

ブレイズ&コーンロウのアジア人二人組は浮いていたと思いますが、良いお思い出となりました。

世界中で公演しているそうなので、機会があればこちらもぜひ!

ヨハネスブルグ観光ツアー

まぁまぁな夜更けの中、陽気な女性Uberドライバーに励まされながら帰塔した私たちですが、翌日は朝からヨハネスブルグ観光ツアーに参加しました。
一人約15,000円也。

ソウェト&ソウェトタワー

ソウェトは「South Western Township」の頭文字から名付けられ、アパルトヘイト時代に黒人が強制的に移住させられた地区です。

今では活気にあふれ、観光客にも人気の街となっています。
街のシンボルである2本のソウェトタワーは、かつて発電所の煙突でした。
今ではバンジージャンプができる観光スポットに生まれ変わりました。

高所恐怖症の人には震えるような体験ですが、勇気を試すにはぴったりです。
煙突の上からジャンプできるのは世界でもココだけでしょう。
1ジャンプ5,000円程度だそうです。次回は同期隊員と参戦します。

マンデラハウス

ネルソン・マンデラが暮らしていた小さな家は、現在は記念館として公開されています。

家は質素で驚くほど狭く、「世界的指導者ほど質素でミニマルな暮らしである」と誰もが感慨深くなるはずです。

マンデラが家族と過ごした痕跡がそのまま残り、彼の人柄を間近に感じることができます。
歴史の教科書で見た人物のリアルな生活を目の当たりにできる貴重な体験でした。

ヘクター・ピーターソン記念碑

1976年、ソウェトで学生たちが政府の教育政策に抗議して蜂起しました。主に使用言語だそうでうす。

その最初の犠牲者となったのが、13歳のヘクター・ピーターソンです。

記念碑には、彼が抱えられて運ばれる有名な写真が刻まれています。

驚くべきは、この蜂起が後にアパルトヘイト撤廃へとつながったという事実。小さな子どもたちの声が、国の運命を変えました。

アパルトヘイト博物館

この博物館では、入場時に「白人」「非白人」の2つの入口に分かれて入る仕組みがあります。

ちなみに完全ランダムで、これはある意味、出生も選べないとのメッセージが込められているとか、いないとか。

たとえ観光客であっても、理不尽な差別を一瞬で体感することになります。

展示は写真や映像が中心で、アパルトヘイトの歴史をリアルに伝えます
まるでテーマパークのアトラクションのような入り口に最初は驚き、そして重い現実を知りそのギャップに言葉を失うことが多い場所でした。

コンスティテューションヒル

ここはかつて刑務所として使われており、ネルソン・マンデラマハトマ・ガンジーも収監されていました。

現在は南アフリカ憲法裁判所が建てられ、過去と未来が同じ敷地に共存しています。裁判所の法廷がガラス張りで誰でも見学できます。

ある意味、透明性と自由を大切にする南アフリカの象徴でもあります。


という訳で、日ごろの行いの良さもあり無事に大満足でポンテタワー及びヒルブロウを脱出することが出来ました。

いつもと違い、個人行動かつ嫁ゴリも一緒という緊張感はありましたが、これまた良い思い出となりました。

お次は柔道活動への参加です!!SHARP


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