「柔道」の可能性と視野

嫁ゴリが帰国した後も少し延長し単身、ロベルトさん宅に滞在させてもらい柔道の指導を担当させていただきました。
南ア柔道家達の相変わらずのモチベーションにキラキラした期待の眼差し…。
辛うじて、五段という段位はもっていますが、知識や指導力が伴っていないことを痛感しました。(語学力は言わずもがな)
日本に帰国したら、講道館での講習会や指導者資格のランクアップ、IJFアカデミーへの参加も前向きに検討します。(詳しい人教えてください)
そんなとある日の「ポンテ道場」での一幕。
前半はロベルト先生から現役選手たちへのお話し。



「試合をしている時だけが柔道家ではない。日常生活の時こそ大切だ。」
「熱くなるのは素晴らしいことだけど、相手がいることを忘れてはいけない。」
「男子と女子で練習することもある。しかし男女では適切な距離感が違う。」
「相手が黒帯でも年上でも嫌な時は嫌という必要がある。」(英検5級の意訳)
というようなお話をユーモアたっぷりで伝えていました。
柔道に国籍、国境は無いと思いますが、南アフリカでイタリア人のロベルト先生が、日本で生まれた柔道を正しく、適切に伝えてくれていることに心の底から感動しました。
続いて、ロベルト先生の奥様「デュマさん」からのお話し。




デュマさんからは女性の身体についてや生理現象などのお話がありました。
何より素晴らしいのは男の子達にも伝えていたことでした。
また、女性アスリートに対して写真のようなドネーションがあるのも素晴らしいと思います。
日本でも積極的に取り入れるべきだと思いました。(すでに実施している個人・団体はもちろん素晴らしいです。)
終わった後は「No-Gi」での稽古。こちらも組手が難しいことにより、新たな刺激がありとても勉強になりました。






児童養護施設「Orlando Children’s Home」

また別の日。
ロベルト先生ファミリー&教え子数名と朝からどこかへ出発🚙
向かった先は「Orlando Children’s Home」という児童養護施設でした。
場所は「ソウェト」の近くです。
「ソウェトとは」
ソウェト(Soweto)は、南アフリカのヨハネスブルグ南西に広がる大きな街です。名前は「South Western Townships(南西部の居住区)」の頭文字から生まれました。アパルトヘイト時代に黒人の人々が強制的に移住させられた場所として始まり、長い間、南アフリカの人種差別の歴史を象徴する地域でもあります。
1976年には、学校でアフリカーンス語を強制されたことに反対して、学生たちが立ち上がった「ソウェト蜂起」が起きました。この出来事は世界中に知られ、アパルトヘイト撤廃への大きな転機となりました。
現在のソウェトは、過去の痛みを抱えながらも、力強く生まれ変わった街です。ネルソン・マンデラやデズモンド・ツツが暮らした「ビラカジ通り」には、今でも多くの観光客が訪れます。通りにはカフェやレストラン、地元のアートが並び、人々の活気にあふれています。
ソウェトは、ただの観光地ではなく、南アフリカの歴史と希望を同時に感じられる場所です。音楽やダンス、笑顔に満ちたこの街を歩くと、人々の強さと誇りが伝わってきます。
この施設は日本からの支援によって建設されたようです。







また、南ア国内からの注目度も高く多くの寄付の品が集まっていました。






こちらの児童養護施設でも柔道クラブを立ち上げる計画があるそうです。日本大使館の方も喜んでいました。

お陰様で、貴重な機会に参加できました。柔道最高。
ベースレイク

そうこう刺激を貰いながら迎えた週末。
数名の教え子とともに「ベースレイク」へ連れていっていただけることに。
途中では「Swagga Breweries」というブルワリーで工場見学させていただいたり…





過去一美味い「ビルトン(サラミ?)」に出会えたりと道中の時点で最高でした。
到着したベースレイクはもう・・・。
未来の柔道家たちと湖にダイブしたり、ブライしたり・・・。







ロベルトさんファミリーは夏季には毎週のように訪れているそうです。
見たのは一部ではありますが、平日午前中は在宅で仕事、夕方から柔道の指導、週末は家族や教え子と余暇を満喫。
そしてそんな生活の中で柔道で新たな可能性を子供たちに提供する。
日本での生活もお陰様で最高に楽しく過ごせていましたが、こんな生活も素晴らしすぎる。
嫁ゴリともども多くの学びを頂けた休暇となりました。ゼッタイ恩返しします。
【ヨハネスブルグ冒険譚 終】


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