※アイキャッチの画像は同期隊員のTKO氏が作成してくれました。壮大すぎるけど感謝…笑
3月20日:続・活動見学
この日も昨日に引き続き、素晴らしい朝食(食べられるサボテン?)とイタリアンコーヒーを頂き、出発。
初めに向かったのは市内にあるとてもキレイな体育館。

ここで、アゼルバイジャン大使館の方と今後の大会についての打ち合わせに同席させていただくことに。
僭越ながら日本での大会の様子を伝えたり、今後の展望についてお話を聞いたりと有意義な時間。日本の大会運営ノウハウも絶対に需要在り。
柔道を通じた子供たちの居場所づくり、そのためには参加賞も工夫して、食事も提供して…などなど。ふむふむ。そりゃ人は集まってくるわけだ。もちろん警備体制や、費用面などの課題もあり。
お土産に激ウマの直送デーツまで頂いてしまった…。ぜひ大会も見学に行きたい。柔道最高。
そして、芸術都市として推しているヨハネスブルグの市内にあるエチオピア料理屋でランチをご馳走に。
悪名高きインジェラに初挑戦…!確かに酸味があり賛否が分かれるところ。
(個人的には好き。ただし、ローカル屋台でこの酸味だと警戒したかもしれない…笑)

周囲はレストランや民族衣装をモチーフにしたアパレルショップが点在。ここ本当に南アか…?
ただ一本、道を外れると想像通りの南アに。用心用心。
念願の…!

そして、お腹を満たしてロベルトさんと再度ドライブ再開。私のつたない英語でも、柔道についての雑談で話が弾む。
そして、相変わらず面前には悪名高きポンテタワーがそびえ立つ。
そして、車は進んで行く。ほどなくして到着したのは…

ポンテタワー!!!!
「ポンテタワー」とは
ポンテタワー ― 建築が生んだ犯罪伝説
ポンテタワー(Ponte Tower)は、南アフリカ・ヨハネスブルグにある高さ約173メートル、55階建ての円筒形の高層ビルで、1975年に完成した。中心が吹き抜けになった特徴的な構造を持ち、建設当初は富裕層向けのモダンな高級住宅だった。
しかし、1990年代以降、アパルトヘイトの崩壊とともに住民の構成は大きく変わり、管理が機能しなくなると、ビルは急速に荒廃していく。
中心の吹き抜けはもともと採光と換気を目的としていたが、管理不全の中でゴミや家具、時には“見せしめ”さえも落とされる“闇の縦穴”となった。この構造こそが、ポンテタワーを単なる廃墟ではなく、「外部から完全に閉ざされた犯罪の巣」と化す要因となった。
階層ごとにギャングが支配する区域ができ、外部の人間が入ろうものならすぐに襲われ「生存可能時間15秒」という噂が生まれた。これは、タワー内部に張り巡らされた“監視網”と情報の早さを象徴している。
エレベーターの前に立っただけで見知らぬ者かどうかを見分けられ、瞬時に囲まれる。建物の構造自体が、犯罪者にとっては“要塞”であり、外部者にとっては“逃げ場のない迷宮”だった。
ポンテタワーはただ治安が悪かったのではない。建築的な特徴そのものが、犯罪の温床となる環境を作り上げてしまったのだ。
嬉しいような、恐ろしいような…ちなみにアイキャッチ画像はその”縦穴の底”です。
そして、今日お邪魔する道場はなんとこのポンテタワーのエントランス階に位置。
なんたる奇跡…笑
ヨハネスブルグを一望できるかつ、劣悪なスラム街を見下ろせる立地。胸が弾む。
ちなみに現在は悪名を利用し観光地化して、ポンテタワー自体の治安は良好です。YouTuberサムネで煽りすぎ。俺もか。
稽古開始!

この通称「ポンテ道場」での稽古も担当させていただくことに…!
講習→講習→講習→乱取りのような技術指導メインの内容で進行。
もともとテクニシャンではなく「剛よく柔を絶つ」スタイルだったので四苦八苦。
ただ、腐っても五段ということで、過去の先生方の指導や記憶を総動員して何とか終了。
後頭部の変なところが悲鳴を上げていました。
ただ、冗談抜きで「日本人」×「柔道五段」にかける期待度は計り知れない。
文字通り、一挙手一投足がいろいろな影響を与えかねない。奢らずに精進する大切さが南アフリカで身に沁みました…。
稽古終了後は恒例の?写真撮影と個別質問タイム!




喜んでいただけたようで、こちらも感無量です。
夜はロベルトさん一家と南アの魚介チェーン店へ!

Sサイズのエビ5匹セットを注文したら、「Lサイズの10匹にしなさい!」ということで、死ぬほどエビ食べさせていただきました。殻まですべて食べたら驚かれました。感謝。
3月21日:稽古からの帰宅

この日も朝からポンテ道場へ。
この日は女性対象の体験会だったらしく、女性の若き指導者達が担当。
ノリノリでダンスしながら参加する様子や、南アならでは?の超大型新人に対する個別指導など大変参考になった。
最後に少しだけ、「大腰」の指導と「帯での棒引き」を担当。こちらも喜んでいただいたようで。任地でもこれだけ、やりがいと有用感を感じられれば楽しいんだろうなぁ…。




最後に参加者全員にNIKEと「Judo for Peace」がコラボしたキャップをプレゼントに加え、昼食を提供、さらに一部の特に活躍(楽しんでいた)参加者にはアパレルグッズやヨガマットのプレゼントまで。こりゃまた来てくれますわ。
そして残念なことに帰宅のタクシーが来てしまったので、またすぐに上京して参加させてもらうことを伝え出発。心がポカポカしたままタクシーで揺られていました。
…が、長距離タクシー乗り場は南ア?世界?最凶の街「Hillbrow」の中心地。写真なんか撮れません。
ここで、大荷物で突っ立って小一時間360度警戒で待つことに。JICAにばれたら絶対怒られるやつ。
死ぬ気はしませんが物も取られたくないので、もうこのタクシーは利用しません。完全に運ゲー。
そして、ドンブラコドンブラこと7時間揺られて任地へ戻りましたとさ。
※私の今回の稽古参加の様子を広報誌でも挙げていただきました☺
まとめと感謝と展望と…
この数日間で、人生を揺るがすほど感動してしまった。。
それなりに柔道普及の麓で頑張ってきたつもりだったが、その際に感じていた葛藤が少し肯定されたような日々だった。
柔道人口は増やしたい、なぜならそれが私自身を変えてくれた『柔道』への恩返しになると思うから。
しかし柔道の品位を下げるような選手、生徒を増やしたくはないし、育てたくない。ダメなものはダメ。
しかし、それ以前に厳しいと離れてしまう。厳しいところで踏ん張れないと勝てない=つまらない。そしてやっぱり柔道をやめてしまう。
今は、手元の→Bボタンで必達技が簡単に出せる時代。そして、それで勝てたらドーパミンドバドバ。
柔道では必死に毎日、歯食いしばって稽古して、1万回くらい打ち込みして、頑張って大飯食っても、5秒で負けることもしばしば。勝ったのに怒られることも。
「柔道(スポーツ)で勝ったらゲームなんて比にならないくらい感動するんだよ!!」っても、そこまで到達できる子が少ない。(もちろん私の指導力不足もある)
そして、一部の指導者は生徒・選手を私物化しているから、同じ柔道家という貉なのに、いがみ合う構図が頻発。若手指導者も、ベテラン指導者も価値観や指導観が違うと、主語を大きくして批判することも。
前提として、日本の柔道関係者は、指導者も選手もファンも大好きですしリスペクトしています。
しかし、温故知新で柔道創成期の南アから学べることは絶対にあると思う。
地域の学校の授業や体験会で楽しむ、存在を知る(導入)→規律や礼儀を学ぶとともに身体能力向上(成長の実感)→「Judo For Peace」の道場で柔道に取り組む(普及・強化)→新たな選手・指導者へ(発展)
このサイクル。とても勉強になる。まだまだ学びたい。
ロベルト先生曰く、このような活動場所は常時10か所以上あるとのこと。「Judo For Peace」もとい、ロベルト先生、コーチ陣の柔道業界に対する貢献度は計り知れない。
駄文乱筆ながら、一生書けそうなのでこの辺で…。
また、参加したら思ったことや気が付いたことをシェアします。
「偉そうに、何言ってんねん!それなら、こうすればさらに…」のスタンスで見ていただけると幸いです。柔道最高。

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