NEW!【渡南ア(派遣)300日目を迎えて】

JICA海外協力隊記

タイトルの通りの定期報告記事です。

300日を超えて、パーセントでは51%というところでしょうか。ようやく半分を超えたところです。

ただ、体感としては100日から200日、200日から300日では体感速度がぜんぜん違います。

慣れやマンネリもあるのでしょう。早い、早い。

とりあえず、ここまでの歩みと心境の変化を記録しておきます。

生活の状況

平日は6時起床になりました…。

過去の記事で偉そうに「モーニングルーティン」なんて語っていましたが、現在は見る影もありません。

ただし、コールドシャワーだけは続けています。

というか朝の強烈寝ぐせ直しの朝シャンの際にお湯が出ないので、半ば強制です。

ちなみに南半球のこちらでは朝の気温は余裕で1ケタ台です。皮膚が厚くて良かった。

出勤後の活動は後述します。

帰宅後は週三回、火・木・土と街までタクシーで往復2時間かけ出向き、筋トレに励んでいます。

近隣のジムも謎トレでの効果が感じられないかつ、ヤンキーのたまり場になっていることもあり、早々に退会しました。というか、ほぼ○○ってるので、対応がめんどいんです。

新たに契約したジムはベンチ台やスクワット台、水圧の強いシャワーなどが完備されており、文句なしです。恐らく任期満了までこちらでお世話になると思います。

週末はジム後にオンライン飲み会に付き合っていただける人も多く、飲酒欲と日本語欲も満たせております。感謝。富塚求ム。

とまぁ、生活については新たなルーティン化が進み、一週間がより加速しています。

ジムの無い日は水くみに行ったり、料理をしたり、動画鑑賞したりと悠々自適に過ごしています。

張り合いが無さ過ぎて、帰国後の生活がすでに怖いです。ワーカホリックの離脱症状でしょうか。

活動の状況

授業の持ち方は今ターム(TEAM2:4月初旬~6月末)も前回から変わらずG4(小4)~G7(中1)の全10学級に対してを任されています。

しかし、私専用教室を離れに用意していただいたことや柔道着、畳を貸与していただいたこともあり「JUDO」の授業のみを行っています。(PCインストラクター派遣です)

PCの授業の時とは変わり、教室を探す手間が無くなったので5分生徒を待つ、10分授業の説明、15分実技指導と授業”らしい”ことができるようになりました。

ですが、もちろん謎の行事で授業が飛ぶ、生徒が何故か来ないなどのイレギュラー対応は健在です。

というか感覚として30%程度の確率で起きます。もちろん事前に知らされることは99%ありません。

赴任当初はつたない英語力で「○時間目のG○の生徒達が来なかったんだけど、何かあった?」「今日って何か行事あったの?」など聞いて回っていました。

そのたびに誰に聞いても「…I don’t know.」しか返って来なかったのを思い出します。

日本では生徒が授業に来ないなんてのは超一大事なので、日本的感覚で神経をすり減らしていました。

今となっては、担任と管理職の連携が全くなされていないことや、その場でいる教員でなんとか授業やって特に報告は無し!というスタイルがわかってきたので気にしないようになりました。

これも成長というか順応の一種だと思います。

ですが、私としても一生懸命準備していた授業が急に飛ぶことや、クラス間の授業進度に大きな差が出ること性格的に看過できないので、ある策を講じることにしました。

それは…

それは新科目「JAPAN」として授業すること!

「JUDO」でも「PCスキル」でもない新たな科目を新設し、教室へ来た学年の生徒へ授業順不同で指導していきます。時間割なんて気にしません。

もちろん新科目「JAPAN」の中にはその日の残り時間・電力・設備・こちらのモチベーションなどのリソースから判断し、「JUDO」「PCスキル」を教える日もあるし、日本文化として「折り紙」「アニメ」を教える日もあります。

目には目を!歯に歯を!適当には適当を!です。

ただ冗談抜きで、日本の時のように指導計画を考え、上手くいかない事に凹み、任地のことを嫌いになってしまうくらいならば、柔軟に対応できるようにこちらが柔軟になってしまおう!というマインドは正解だったように思います。

あくまで私の任地において、JICAと勤務校が数年前に合意したはずの要請に対しての需要が、何故だかさほど無かったからこその苦肉の策です。

(数年の間に変化したのか…。それとも、そもそも…。)

ですが、要請内容を全くの反故にするわけにはいかないので、全世界共通認識である「Children Fast」として、私の持ちうるスキル(日本文化への見聞・柔道の経験・子供が喜ぶ程度のPCスキル)を総動員して、新科目「JAPAN」を指導することにしました。言い訳完了!もうええでしょ!!

と、自分自身を納得させ活動を続けています。もちろん報告会など時と場合によって新科目「JAPAN」は形と名称を変えることは追記しておきます。

残り約50%の期間で、どうなるか見守って頂ける幸いです。こまめに発信していきます。

心境の変化

結論から言うと200日目の際と大きく変化は無いように感じます。

段階内容一般的な期間
①ハネムーン期志高く目標達成に燃えている。
自分や環境への期待値が高く行動する(できる)つもりでいる。
任地赴任直前、直後
②ショック(幻滅)期言語や文化、環境、天候の違い等で看過しきれないものが出てくる。1~6ヵ月頃
③回復(調整)期
☝イマココ
対応(順応)できる場面も増えてきて自信がついたり、その自信がフイにへし折られたりする。6ヵ月~1年
④適応(順応)活動や言語などの環境変化に対応できる場面が増え、自信がついてくる。(予想1年~

こちらに書くまでも無いようなトラブルから、書けないようなトラブルまでありますが、概ね心穏やかに過ごしています。

一番の心境の変化は任地を「好きになろうと努力していた」自分から「ちょっと好き」な自分になったことかもしれません。

ジム帰りの夕方のマジックアワーに現れる「アフリカンオレンジ」は最高です。

村ですれ違う人たちや英語のまだ喋れないキッズ達とも笑顔での挨拶だけですが、受け入れられてきた様な気さえしています。不思議なもんです。

もちろんこの記事を投稿した直後に、意味不明or理不尽なことが起きて、爆発している可能性も無きにしも非ずです。

ですが、”現時点では”そんなことも含めて「人生においてのたった2年間。されど貴重な2年間。」「無理をしないで怠けない。」と思えるようになりました。

猪突猛進頑固イシツブテからLv.34にして、少しだけニンゲンに近づきました。

さて、残り約半分が過ぎ去って帰国したとき、「南アフリカはどうだった?」という無邪気な質問が飛んで来たらどう答えるんでしょうか。今から楽しみです。SHARP!


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